しょうけい館

2008年2月2日訪問

 東京の地下鉄九段下駅の6番出口からほど近いところに「しょうけい館」はある。
 昭和館から出て、信号を渡るとすぐのところである。

   

 距離は近いが、昭和館としょうけい館はさまざまな点で対照的だ。
 広い交差点に面し、独立した7階建てのビルの昭和館。
 表通りから入った路地の、共同ビルの一角にあるしょうけい館。
 どちらも国立の施設なのだが、たたずまいには大きな違いがある。

 しょうけい館とは愛称で、戦傷病者史料館が正式名称。
 開館は2006年3月で、日本傷痍軍人会が厚生労働省の委託を受けて運営している。
 見学は2階の展示室から。
 ここは、体験者の証言に基づいて、戦場で負傷したある兵士の足跡を辿る形で展示されている。
 
   

 出征から戦地での生活、帰国後の苦労、戦後の苦労までが、実物や写真の資料、寄贈された遺品、さらにはリアルなジオラマで表現されている。
 展示面積の大きな部分を占める野戦病院のジオラマは等身大で迫力がある。

   

 1階は受付の奥が企画展示コーナーで、メインになるのが証言映像シアター。
 それをとりまくように戦傷病者と援護のあゆみが展示されている。
 実際に使用された義手などの装具もある。

   

 情報検索コーナーや図書検索コーナーも完備していて、図書資料の閲覧もできる。
 入館無料だが、土曜日の昼でも訪れる人は多くなかった。
 受付で聞くと、修学旅行の中学生などはよく利用するとのことである。

   

 企画展は、傷痍軍人である水木しげるの人生を展示している。
 水木は有名な漫画家で、この館のPRにも一役買っているようだ。

 戦死者が中心の遊就館、生活が中心の昭和館の、いずれにもない部分にスポットをあてたのがしょうけい館である。

かつては、軍隊帽をかぶり白衣を着て、義手や義足を見せた傷痍軍人が繁華街や祭礼などで見かけられた。
 その姿を見て、子ども心に気の毒に思うよりも先に恐怖を感じたのは、そこに戦争のリアルな姿を見ていたのだろうか。

 いま、街に傷痍軍人の姿は見られず、傷痍軍人という言葉さえ聞かれなくなった。
 一方で「英霊」はなにかと取り沙汰される。
 しょうけい館から表通りに出て、少し歩くと靖国神社に着く。
 しょうけい館が語るのは、いわば靖国に入り損なった人たちの物語である。
 しょうけい館は靖国の遊就館とも、また対照的である。
 展示規模の圧倒的な差、来館者の数の違い。
 大人800円の入場料の施設と無料の施設があって、前者のにぎわいと後者の閑散とした様子は対照的である。
 このちがいはなんだろう。

 「廃兵」という人権意識のかけらもない言葉がある。
 軍隊で死は美化され、病み、傷ついても生きながらえた人は、白眼視された。
 障害を抱えて仕事もままならず、苦労を重ねた人が大部分だ。
 
 戦死者は、あの戦争をふりかえることができない。
 もちろん反省も批判もできない。
 しかし、戦傷病者はそれができる。
 戦死者は美化することで、次の戦争の準備に利用できるが、戦傷病者はそうはいかない。

   

 しょうけい館は、戦傷病者という視点から戦争の非人間的な実相を伝える展示をしている。
 収集されている資料や書籍を見ると、戦傷病者について伝えるだけでなく、広く戦争と平和について考えられる内容になっている。
 しょうけい館は、過去の事実の伝達によって反戦の意識を育て、平和創造に目を向けさせる、平和博物館であるといえる。

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